Obento Diary

息子弁当と自分弁当の記録。

これまでに作ったお弁当一覧1(#001〜#060)

 過去ログ掘り起こし目的のお弁当一覧です。お弁当写真をクリックすると詳細記事に移動ます。

 スマートフォンガラケーから閲覧する場合は写真がかなり小さく表示されると思います。パソコン閲覧でちょうどよい感じになるように表を作っています。

 #001〜#060までのお弁当は、2010年11月12日〜2011年4月6日までに作ったもの。




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当時を振り返ってみて

 ちょうどお弁当#001〜#050までのお弁当を作っていた頃というのは、都内にある某アパレルメーカーで週3日パートしていたとき。

 2010年4月から働き始めました。結婚後久しぶりの社会復帰ということもあり、慣れない仕事に戸惑いを感じながら毎日を過ごしていました。

 なんとなく日記めいたことをしたい。でも単なる文章だけでは愚痴になってしまう。何かもっと続きそうなテーマで楽しいことがいい....なんて、ずっと思っていたこともあり、仕事に慣れてきた2010年11月頃からお弁当ブログを始めることになりました。

 当時息子は小学6年生。学校給食がありましたが、冬休みや春休みには息子のお弁当を作っていました。でも、この頃って確か朝6時半に家を出て通勤していたはず。帰宅するのは6時半〜7時頃。

 当時、どんな毎日を送っていたかは覚えてないですね。とにかく毎日必死でしたが、我ながらあの頃はガッツあったなと思います。年末は12月27日まで仕事。新年も1月4日から出勤していたんですね。

 しかし、2011年3月11日に起こった東日本大震災がキッカケとなり、2011年4月末でパートを辞めました。

 地震が発生した3月11日は、都内で働いていた夫も私も帰宅できず職場で一夜を過ごしました(電車が動かなかったため)。

 しかし、当時小学6年生だった息子が1番最初に帰宅。地震発生直後から電話は繋がりにくくなっていましたが、奇跡的に帰宅直後の息子から私の携帯に電話があり、家の中の様子を聞けば....食器棚がひとつ倒れ、食器が割れ床に散乱していたと。私は近所に住む姑と連絡をとり(電話繋がるまで20分)、息子を迎えに行ってもらいました。

 しかし、道路は大渋滞。通常なら10分もあればたどりつける距離でしたが、姑が息子を迎えに行けたのは1時間後。

 余震が続くなか、息子はどんな気持ちで家で独り過ごしていたのだろう....と思うと、未だに当時の気持ちがこみ上げ涙目になりますが、これがキッカケとなり働き方そのものを見直すことになりました。

 正直、年齢的にもう平日9時〜5時、週3日という好条件の事務の仕事には就けないだろうと思いましたが、迷いはなかったです。

 その後いろいろありましたが、結果、いまの土日中心の仕事(早朝からの体力勝負の肉体労働)に至ります。ただ、これも結果オーライなんでしょうが、自分としてはいまの仕事のペース、いまの職種のほうが合っているかな。煩わしい人間関係もないですし。

 そう考えると、当時は「なんでこんなアンラッキーな」と思うことでも、後々になってみると「ラッキーだったかな」と思えたりすることってたくさんあります。誰かの格言だったか忘れましたが、「人生に無駄なことは何もない」という言葉。本当にその通りだったと思えます。